98年2月「転勤になったよ。九州だ。」

夫の一言で、妻の運命は変わる。

福島で10年、培ってきた友情も、

楽しい仕事も、サークルもすべて手放して九州へ。

理不尽だともおもう。

サラリーマンの妻の宿命と諦めるしかない。

もともと楽観的な私。

別れに増す楽しみもあるのだ。

全く知る人もない未知の世界「九州」

新しい出会いが私を待っている。



引っ越す前からドタバタ顛末記もないものだが、

結婚して以来もう8回目のこと、

毎回のドタバタが急になくなるとは思えない。

「いま」から始まるドタバタ日記、

ぜひお付き合いを。

何処へ引っ越しても変わらない

インターネットの世界を

ますます頼もしく思うことになった。


その1  佐賀県久留米市で大恥(98.2.19)



夫の転勤先は佐賀工場。

「社宅は久留米にあるよ。」

と言うので、親しいメール友達に

「佐賀県久留米市に引っ越します」

と書き送った。

数日後、図書館で佐賀の地図を開いてみた。

ない!

よくみると、筑後川が県境になっていて、

久留米はその南側に位置している。

なんだ、佐賀県の下なら熊本県だわ。

今度は熊本の地図をみてみた。

ところが、ない!

じゃあいったい何処にあるの??

九州全土の地図を調べて、やっとわかった。

久留米は福岡県なのだ。

福岡は日本海だけを向いているのかと思ったら、

有明海側もちゃんとカバーしていたのだ。

すごい。

おっと、これって赤恥だよね。

わたし地理とらなかったものなんて、言い訳にならないか。

前途多難な幕開けである。


その2  しのぶの里のがある(2.20)

 

仲良くしている友達に転勤のことを言ったら、

「寂しくなるわ。私どうしよう。」

と言ってくださった。

私も彼女がいなくなったら、どうしようと思うだろう。

嬉しかった。

この地は転勤先で、私たちの終の地にはならない。

もう会うことはあまりないだろう。

でも「しのぶの里」があると思った。

毎月一回発行している私の新聞。

親しい友達に宛てて18部だけだけど、

もう98号になった。

年賀状だけでは寂しいもの。

これなら毎月色々語りかけることができる。

みなさんからの便りも嬉しいものだ。

10年前にやっぱり引っ越しから生まれた新聞が、

いま又私を励ましてくれる。


その3 住所印を作ったのに!! (2/21)

 

手紙をよく書くので住所氏名のゴム印を使っている。

郵便番号が4桁になったし、

福島は電話番号も変わったので、作り替えた。

今回は、奮発して2個も作った。

罫線を入れた縦書きと、

絵はがきにも使える小さな横書き。

今日初めて使っていて気がついた。

これって、もう使えない!!

5千円もしたのに!!

誰かにあげられるものじゃなし。

がっかり、とほほ。



 その4  栄転か左遷か(2.22)



転勤の話しをした何人かの友人に、

「ご栄転でしょ」

とたずねられた。

思ってもいなかった問いに

「さあ、違うでしょ」

と答えると、

「そんなことないでしょ」

となおもきかれる。

「転勤は栄転か左遷のどちらかでないといけないの??

そんなこと夫に聞いて!!」

と言いたかった。

夫が元気に仕事に行って、

平凡に暮らせる程ものもをいただいてくれたら、

それで充分。

そう思って暮らしてきた。


その5  引っ越しルーム発見(2.23)
 


ホームページを作って以来、

他の人のホームページを見て歩くことが多くなった。

昨日も大好きな「keiの元気がでるページ」から

ネットサーフィンをはじめて、

kiyomiさんの「引っ越しルーム」 なんと佐賀在住 引っ越しの大ベテラン。

引っ越しに関するうんちくがいっぱいだった。

さっそくメールをおくりたいけど、

実はこのページ、いまの段階ではアップしていないのだ。

まだ早すぎると夫からストップがかかっている。

夫の会社の若い方と交流があるので、致し方ない。

佐賀のことなど色々伺えそうで楽しみだ。



その6  それでも行きます、伊勢、奈良旅行(2.27)



3月11日〜14日に

伊勢、奈良へ旅行に行くことになっていた。

両親と3人で母の里を訪ねる予定だった。

ところが、申し込んでいたツアーに人が足らず、中止になった。

九州に行ってしまってからではなかなか実現も難しいだろう。

それではと、計画を立て直して、JTBに申し込んできた。

伊勢の鳥羽に一泊と、奈良の橿原に2泊。

スケジュールに追われずに、良い旅ができそうだ。

しかし、古い奈良の都に思いを馳せるには、

現実がせわしなさ過ぎる。

新幹線に乗ってから、本でも読もうと思う。


その7  仕事も終わり(2.28)



一応、今日で仕事を辞めた。

後は時間のある時に行かせていただくことになっている。

1年と10カ月、

やっと仕事をこなせるようになった矢先で、

申し訳ない事だった。

染め物工場の片隅で、

MACのイラストレーターと戦った日々。

仕事と言うより、趣味のような気分だった。

今日はどんなデザインの旗やのぼりを作るのかと、

わくわくしたものだ。

上手に描けて、

パソコン上で色を付けるときも嬉しいが、

それが現実に染め上がった喜びは、得難いものだ。

HP「私の仕事部屋」の暖簾や半天を見ていただきたい。

この仕事を得たお陰で

MACを購入し、ホームページを作るに至った。

九州に行っても染め物やさんを探したいと思っている。



その8  山にさよなら(3.1)



友人に誘われて、福島郊外のアンナガーデンに出かけた。

真っ白な雪におおわれた

安達太良、吾妻の山々が間近にみえる。

自分で山頂まで登った山は、とても親しみがある。

どちらの山へも、夫と二人で苦労して登った

さよならを言うにはまだ早いけど

「さよなら」といってみた。



その9  引っ越し形態が決まる。(3.2)



引っ越しもやり方で苦労が違う。

お金をかけずに引っ越すと、大変だ。

段ボールの山との格闘が続き、

最後の最後まで使っていた石油ストーブとか

使いかけの調味料、鉢植えの花、

照明器具、など頭が痛い。

ところが「らくらく」とか「おまかせ」とかのパックなら

天と地ほどの違いがある。

何から何まで、全部梱包してもらえる。

触られたくない物だけ、自分で処理すればいい。

最近の不況で、「らくらく」にはできません。

なんて言われたら困ると心配した。

「らくらく」に決まったよ。

ときいて、ほっと胸をなで下ろした。

これでゆっくり旅行にいける。

友人と別れを惜しむことも。

後はあちこち点検して、

人に見られて困る物を片づければいい。

バンザーイ!!



その10 引っ越し先が決まる(3.3)



久留米の長門石と言うところの一戸建てに決まった。

何が嬉しいといって、庭がある。

マンション暮らしが長いので新鮮だ。

プラス、食器洗い乾燥機がある。

私のあこがれの的。

2階に浴室があるのもいいな。

間取り図を見ながら家具の配置を考える。

まるで新築の我が家に引っ越すような気分だ。

転勤の時、住まいが決まると

気持ちが落ちつくのはなぜだろう。

きっちりと覚悟ができた。

 


その11  白いコンテナを作る(3.4)



友人と大きな花屋さんに出かけた。

「大きな花屋さんで、ゆっくり、

時間をかけて買い物をしたい」

といっていたのを覚えていて、

連れていってくださったのだ。

夫とでは、

「まだ用があるの?」

と言われて、とてもゆっくりできない。

引っ越し前だから、種か球根と思っていたのに、

見ていたら、つい手が出てしまった。

紫と白の桔梗の根。河原なでしこの種。

同じ時期に咲いてくれるだろうか。

タンザナイトブルーという青い花。

それに白い花の苗をいろいろ。

ムスカリ、デージー、ノースポール、アリッサム。

丸いコンテナに植え込んでみた。

清楚で清らかな雰囲気。

カーテンを開けると夜目にも白く浮かんでいる。

運送屋さんごめんなさい。


その12 引っ越しのスケジュールを決める(3.7)



3月31日搬出、4月3日搬入と決めた。

さすが九州ともなると

4日間もかかるのだ。

何処に宿泊するのか、車はどうするのか

これから決めることがまだまだある。

畳の裏返し、絨毯クリーニングをする事にした。

家具を出してからのほうがいいだろう。

息子や娘が福島との名残を惜しみにやって来るという。

私と言えば、伊勢奈良旅行のついでに

テートギャラリー展をみて、

東京の友人にも会ってともくろんでいる。

いよいよ忙しくなってきた。

お尻に火がつくとはこんな状態だろうか。



その13 運送業者の下見(3.9)



年輩の女性の方が来てくださった。

部屋数、家具、およその荷物をチェックする。

エアコン、照明器具の取り外しも依頼。

車の陸送に7日間もかかるという。

知らない土地で車がないのは何とも不便そうだから。

引っ越し荷物は3/31搬出、4/3搬入で

           車は3/27搬出、4/3搬入として貰った。

3月末の引っ越しは一番込み合うパターンらしい。

荷造りは前日でなく、23日にする事になった。

随分早い!!

1週間は身の回りのものだけの生活になるようだ。


その14  電話番号があっさり決まる(3.9)



引っ越し日が確定したので、

電力、水道局などに電話をする。

電話番号が、一度の電話で決まってしまうのには

驚いた。

まず、116に電話。

九州の住所を伝えると

すぐに久留米のNTTに回された。

ここでもう一度住所を確認すると、

5つの番号を言いますので

好きな番号を選んでください。

と言われた。

局番と相性が良く、

覚えやすそうな番号を選んで決めた。

搬入当日の午後、工事に来てくれるのだそうだ。

費用は8千円。

ちょっと高く感じる。

当日なんの工事があるのだろう。

モジュラーを差し込むだけで良いのでは??

電力はブレーカーを上げ下げするだけで、無料だ。

むしろこちらのほうが

周波数の違いがあって不安な気がする。


その15 いってきました。

千葉、神奈川、伊勢と奈良 (3.10〜3.17)




伊勢と奈良の旅行は3泊4日だが、

実家や子ども達のところに寄るので、1週間の日程になった。

テートギャラリー展も見ることができたし、

友人のお見舞いにも行って来れた。

社会人一年生の子ども達の家は、汚れ放題。

掃除、洗濯、草むしり、弁当づくりで忙しかった。

九州からはそんなに世話しにこれないと、

つい力がはいる。

20歳と24歳になっていても、

長い別れはつらい。

九州は遠いと改めておもう。

 

母の里、伊勢にて
 

母の兄弟、5夫婦が集合した。

70〜80歳。

全員顔色よく元気で、夫婦二人暮らしだという。

祖父母の墓に詣でたが、

93、94歳で没している。

長寿の秘訣は

趣味を持ち、よく動き、よく食べる事のようだ。



明日香村は最高  

奈良とは言っても、郊外の明日香村を訪ねた。

サイクリングか徒歩で回るのがベストの場所だが、

両親と一緒なのでタクシーで回って貰った。

細い道をくるくるまわって、

一通り見ることができた。

個人では、とても見きれないだろう。

小さな丘に、段々畑、

梅、椿が咲き、ミカンが実る大和路を堪能できた。

キトラ古墳は土に埋まっていて、

白いテントしか見ることができない。

明日香村には聖徳太子の時代や

万葉集の世界が詰まっていた。

2泊した橿原ロイヤルホテルは

清潔で気持ちの良いホテルだった。


その16  なんて楽しみな博多の町(3.18)



九州から福島に引っ越して、

私どもの家に入居される方が、

下見にこられた。

学校の手続きをされたという。

久留米や博多の話を伺うことができた。

昨年博多にオープンした

「キャナルシティ博多」が面白いらしい。

二つのホテルの他に

劇団四季の常設劇場。

日本一大きい無印良品の店。

171店舗のの専門店街。

13のスクリーンがある映画館。

もちろんパソコン専門店。

そして大型ブックストア。

これじゃしばらくは

博多まいりが続きそうだ。


その17  名刺を印刷(3.20)



新しい住所と電話番号が決まったので、

名刺を作った。

もちろんパソコンでイラストレーターを使ってである。

肩書きがなくとも

名刺を持ったっていいじゃない。

今までのもののバージョンを変えるだけなので簡単。

花やクマ、Miekoマークをあしらったり、

古隷書の文字にしたり、

遊び心いっぱいの名刺、4種類ができあがった。

E-mailやHPのアドレスもいれてある。

後から転居通知を出す人数を減らせるし、

住所をきちんと知らない人も結構いるので、

いい方法だと悦に入っている。


その18  ふれあいフリーショップ開催(3.22)



今住んでいるマンションでは、

70世帯が一つ屋根の下に暮らしている。

理事会の活動の一貫として、

新聞「ふれあい」を年に5回発行してきた。

私はこれまで4年間、編集委員として携わっている。

「ふれあい」は新聞の発行だけでなく、

講習会やおしゃべり会、

フリーショップの開催なども主催する。

年に一回のフリーショップが

1階の集会室で開かれた。

ちょうど引っ越し前で好都合だった。

不要品を出して買っていただいた。

そして実はそれ以上にあれこれ買ってしまった。

最後まで売れ残っていた

健康器具の自転車を無料でゲットしたけど、

運動不足の解消になるだろうか。

三日坊主になりそうでちょっと不安。


その19  早々に荷造り(3.23)



31日に搬出なのに、23日に荷造りをする。

午後というので、今や遅しと待ったいたら、

4時30分に「遅くなりまして」とやってきた。

押せ押せで遅くなったという。

男性一人と、女性五人。

来るなり、およその家具の配置を書いた新居の図面を手に、

「この鏡は何処におきますか」

「このかけ時計はどの部屋?」

「この絵はどの部屋?」

と矢継ぎ早に聞かれてうろたえてしまった。

らくらくパックは

引っ越し先で荷物を開封して

品物を元のように置くところまでするので、

適当に部屋に積んで置く、というわけにはいかないそうだ。

 

慣れた手つきであっと言う間に段ボールの山ができていった。

でも、6時半になったら、「はい止めましょう。」

と一斉に手を止めてお帰りになった。

主婦のみなさんが多いので無理もないのだが、

まだ手つかずのところがたくさんある。

「今度はいつ?」

ときいたら、

「当日の朝作ります」とのこと。

不安と不満が渦巻いて、ガッカリしてしまった。

 

「たいへん早くて申し訳ないのですが、

1週間前に荷造りをさせてください。」

そういわれて、

きっちり1週間分の衣類や靴や傘、

貴重品や寝具、洗面具、

食器や調理の道具を分けておいたのだ。

それに、荷造りを終えてから1週間の間に

台所や作りつけの物いれの掃除をすればいいと

軽く考えていた。

 

ところが今日の荷造りは、本棚の本、食器棚の食器、

洋服ダンスやクロゼットの衣類がほとんど。

洗面所も、台所の上下の棚も、ものいれ、押入、下駄箱も

みんな手つかずで残っている。

オー マイ ゴッド!!

「中のものを出して、掃除して、元に戻す」

と言う作業をしなければ、

当日、雑巾片手にきりきり舞ではないか。

もっとも普段からまめに掃除をしていれば、

こんな事にはならない。

わかっちゃいるけど、なのである。


その20  送別会の嵐(3.24)



今日からしばらくは送別会のオンパレードだ。

特に夜は25日から28日まで4日連続になってしまった。

夫も毎日のように続いている。

二人そろって夕食をとるのは

今日いち日だけになってしまった。

名残を惜しんで集まっていただけるなんて、

全くもって嬉しい限りだ。

みなさんのご厚情のお陰で、

福島での10年が実りある充実した日々になった。

一人一人の方に感謝の気持ちをお伝えしたい。


その21  お別れのお付き合い(3.27)



送別会やお別れ会には

記念品なんかが付き物で、

これが悩みの種である。

みんないったいどうしているのだろう。

仕事先や、グループの方には

一人ずつにマグカップやハンカチを用意した。

会食に寸志も用意して出向いた。

差し上げたときも、そのまま持ち帰った時もある。

ケースバイケースでとても神経を使う。



親しい友達の場合は、とりあえず頂いてある。

食べてしまうものもあるので、

メモを取っている。

九州に引っ越してからゆっくり選んで

お世話になったお礼を

送るつもりだ。


その22  この胸の痛みはなに??(3.29)



今日は日曜日。

朝、目が覚めて、うつらうつらしていたら

なんだか胸のあたりがキリキリ痛い。

何かなと思っていると、

そのうちに痛みが胸から背中に突き抜けるように響いてきた。

ちょうど鳩尾の上から、

背中の右の肩胛骨に向かって痛い。

筋肉痛とも内蔵の痛みとも違うようで、

これって神経痛??

「やっぱり」

と思った。

ここ2〜3日ガス台、浴室、換気扇の掃除に精を出したのだ。

掃除は苦手と決め込んで

不精の限りを尽くしていたからたまらない。

ゴシゴシ、ガリガリ、

深夜に及ぶ掃除バトル。

筋肉痛なら恐くないけど、

神経痛では大いに困る。

年をとるって、こう言うことだったのだ。

もう掃除はほどほどに、

長引かないことを祈るばかりだ。

(この痛みは2〜3日で取れました。
が、引越し終了後、腱鞘炎の軽いのになって
通院しました・・・・ヤレヤレ)


その23  引っ越し前日、スーツを購入(3.30)



今日は暖かくて、汗ばむほどだ。

福島でこの陽気では、

九州はさぞ暑いことだろう。

手荷物に用意した洋服はとっくりセーターにウールのスカート

これではみっともないかもしれない。

急遽デパートにかけ込んで、

春物の洋服をさがした。

薄手のスカートを選んだら、

「この上着も揃えられるとお値打ちですよ」

予算は大幅にオーバーだけど、

引っ越しのどさくさでなんとかなるだろう。

思い切って買ってしまった。

体型をカバーしてくれる

たっぷりしたコシノジュンコの上下。

気分は上々だ。


その24  いよいよ引っ越し やっぱりハプニング(3.31)



いよいよ引っ越し当日になった。

朝9時。

今や遅しと運送屋さんを待っている。

今まで何度も引っ越しをしてきたが、

当日にこんなに荷物ができていないのは初めてだ。

カップボードの食器、下駄箱の靴、机の引き出し、

押入の物も未だそのままになっている。

9時30分になっても未だこない。

電話をいれてみた。

 

「今日の搬出は午後2時の予定ですが」

という。

そんなバカな。

「搬出は2時だけど、九時に来て荷物を作ると聞いていますよ。」

「荷造りが少ししかできていないので、

ご心配だとは思いますが、

午前中は他のお宅が入っています。

お宅には2時に伺うと、伝票にも書いてあります。

総力をあげて、頑張りますのでよろしくお願いします。」

と言われてしまった。

 

確かに搬出2時、搬入9時と聞いていた。

搬出って、荷物をトラックに積んでだす時間じゃないの??

ウッソー!!

それにしても朝九時にきて荷造りの続きをすると

確かに聞いたのだ。

でも言ったいわないを言ってみても始まらない。

やれやれ前途多難な一日の始まりである。

 

2時に荷物を出して、

新幹線で神奈川の子ども達のところに行って

2泊する予定でいた。

2時からの仕事では、7時近くにならないと終わらないだろう。

夫が福島のホテルに予約を入れてくれた。

これで一安心。

まず電気工事の人がエアコンと照明器具の取り外しにやってきた。

向こうの家に照明器具がないというので、

全部はずして持っていく。

箱などとってないので、大変だ。

 
2時。

いよいよ引っ越し大作戦の開始である。

荷物を作る人、部屋から出す人、運ぶ人、車に積み込む人

13人が手分けして手際よく始まった。

4時、

まだまだ荷物がなくならない。

大丈夫かと心配した頃、応援が10人ぐらいやってきた。

夫も私もじゃまにならないところを、探し探し立っている。

昨日とは打って変わって、北風が冷たい。

暖房はなく窓も開けっ放しで寒い。

6時。

大きな冷蔵庫や食器棚がでて、あらかたの荷物がなくなった。

7年間動かしていなかった冷蔵庫などの後は、埃がうずたかく、

私は雑巾片手にふきまくることになった。

日が落ちて、もう暗い。

最後に掃除機をかけてくれた。

照明器具をはずし、台所のあかりを頼りに梱包する。

 

やっと終わった。

寒くて埃っぽい中、みなさん本当にありがとう。

お疲れさまでした。

夫と部屋に残って、7年間を過ごした我が家を見回る。

広々している。

7階の窓には福島の夜景が広がっていた。


その25  九州に移動(4.2)



冷たい雨の降る中を九州行きの飛行機に乗る。

東北地方は大雪だそうで、

かち合わなくて助かった。

昨晩は息子や娘と別れをおしんだ。

今までも離れて暮らしていたのだが、

新幹線で1時間半、8千円と

飛行機で2時間、3万円ではやはり違う。

二人が伴侶を見つけて暮らすようになるまでの間、

もっと一緒に過ごしたいと、

切実に思う。

私にとって

九州行きの一番のネックだ。

福岡空港は雲が切れて、あちこちの桜が目に付く。

高速バスで一時間、

久留米には、なんともうつつじが咲いていた。

福島のたんぼはまだ凍てついて、

畦にやっと犬のふぐりが咲いていたのに、

こちらでは麦が穂を出しかけて、風にそよいでいる。

タクシーの運転手さんの訛が聞き慣れなくて、

はるばる来たなあと実感した。


その26  とうとう久留米の人になる(4.3)



いよいよ荷物の搬入だ。

マンションから2階建ての一軒家に移るので、

収納に心配はない。

それでも、夫も私も朝早くから目が覚めて、

時間を持て余すようにして、新居についた。

まずは両隣に「お騒がせします」と挨拶。

九時から荷物を入れて、

1時には完了してしまった。

食器も文房具も本も洋服も、

ほとんどの物が段ボールから出されて収納してある。

本など、同じ段に同じ本が並べて有るのだ。

すごい!!

 

とは言ってもハプニングは起きる。

 

大変な思いではずして梱包してきた照明器具が

とりつけられない。

器具が重いので、

天井の補強工事が必要だという。

そのまま物置にしまわれてしまった。

 

カーテンのサイズが合わない。

マンションの高さ178センチと違って、

どの窓も大きく、210センチはある。

とりあえずとりつけたが、

つんつるてんでおかしい。

全部合わないのだから、こまった。

 

午後、市役所に行き、移転の手続きを済ませた。

これで、久留米の住民となった。

夕方夫とご近所の挨拶に出向く。

楽しいお付き合いができるといいな。


その27  「すみまっしぇーん」(4.6)



3日に搬入、4日、5日の土日に

大車輪で働いて、やっと人心地ついた。

月曜日、夫は初出勤。

私は細々とした片づけのもがたくさんある。

ガス屋のおじさんが手続きに来てくれた。

「奥さん、すみまっしぇーん」

を連発する。

武田鉄也がつかっているのを聞いたことがあったが、

ほとんど死語になっているのを

ふざけてつかっているものと思っていた。

どっこいちゃんといきている。

「すみまっしぇーん」

なんか憎めない言葉だ。


その28 パソコンを立ちあげる(4.7)



やっとパソコンを立ちあげた。

久留米にプロバイダのアクセスポイントがある。

超ラッキー!!

夫は東北しかカバーしていないプロバイダだったため、

新しく入りなおしている。

「九州からこんにちは」

とあちこちにメールを送った。

九州と福島では電話もためらわれるが、

メールなら安心だ。

とは言っても私の友人でパソコンを操る人はほとんどいない。

寂しいな。

明日はパソコンからファックスを送ってみよう。

引っ越し挨拶も作らなくちゃ。 まだまだ忙しい毎日が続きそうだ。



おしまい

長々とお読みくださった方、ありがとうございました。

ホームページを作り始めて1ヶ月ちょっと。

嬉しくて嬉しくて、せっせとメモしたものでした。

当時はデジカメもスキャナもなく、

写真を入れることが叶いませんでした。

弾んでいた自分と再会したような気分で再掲載することにしました。

(2004年12月)